こんなブログ記事を見つけた。写真の引き伸ばした荒さが時代を感じさせるけれど。馬場さんの記事。
TDB-CE(Tokyo Designers Block – Central East)後のCET(Central East Tokyo)の起こる瞬間の記事ですね。面白いな。難しい言葉無しに、CETのことを言葉にして出ているのって貴重かも。
ブルックリンのD.U.M.B.Oでの取材の話は、馬場さんよりも原田さんからよく聞いていて、阿野さんの写真を見て純粋に興味を持った。でも、どこか異国(異国だけどw)の話であって、僕にとっては八丁堀とかにリアリティあった。
中央区とかあまり知らない。銀座と日本橋の位置関係さえ曖昧で、車で銀座走ってて、気づいたら日本橋を通過した時の驚きは今でも覚えている。
東京の地図が頭のなかで繋がっていなかったんだよね。地下鉄やJRを使うと、それぞれの駅周辺でのブツ切りマッピングが出来上がる。隣の駅は知ってても、それぞれの道がどこにつながるのか、実はあまりよく知らない。
そんな時に知ったのが八丁堀の8bath。
遊びに行って出会ったのが武藤くん。そしてこのプロジェクトが動き出した瞬間に立ち会えて、そして今日本橋に住んでる。
この時、このテキストを書いてた馬場さんもそうだけど、このプロジェクトに関わるみんなが動くモチベーションの源ってなんだったんだろう。
ものすごく熱い思いを感じるよね。実際現場もそうだった。
なんか冷めた感じの視点から振り返るのは嫌だな。。。
D.U.M.B.Oの現状について、ちょっと調べてみよう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンボ_(ブルックリン)
今更だけどwikiで見るとニューヨーク大学と共にニューヨーク市が支援してるんだね。中央区、千代田区と、東京大学とかでどうにかならないものかな?
未来を描けばいいんだよね。この街のストーリー。
人が行き交い街が賑わう。交通事情も良く、電車も複数路線使える。羽田も成田も一本。東京駅も近いし。
この街での働き方、生き方。見てみるのが一番早い。これこそ次のステップの作り方なんだよ。