自分の仕事や自分のあり方は、自分ではなく周りが教えてくれるのだと思う。

安定した雇用では無いというか、勤め人では無い身としては仕事はありがたいもの。自分のやりたい事が出来るなら、それこそ嬉しさ1000%です。

でも迷う時もありますよ。よく言う「良い事はこれが最後と、悪い事は一生続くと思ってしまう」という心理に繋がるネガティブ感情が湧く瞬間。

全く逆の事が起きると感じれば良いだけなのですが、気持ちには上がる時があれば落ちる時もある。これもまた同じ人。

仕事の仕方に迷う時に、ふと北海道での生活を思い出す時がある。

「東京から来た」というだけで、僕は仕事を受ける事ができた。勝手に面白がって営業してくれる人も居たし、「こんなこと出来る?」と気軽に訪れてくれる人がありがたかった。

こちらも全く知り合いの居ない土地柄だったから、下手すると引きこもりの危機なワケですが、こうして他人に興味を持ってくれる人のおかげで、仕事にもありつけたし、美味しいものもたくさん食べることが出来た。北海道万歳!

「仕事を探そう」とすると、なぜか見つからないものだったり、思ったのと違うことだったりすることがある。コレ、なんとかの法則っぽい。

「僕はこんな人間です」「こんなことが出来ますよ」と伝えることの方が、仕事を呼び込む。無理無い要求だったりもするし、判断に迷えば「これどう?」と問い合わせてくれる。面白そうならチャレンジさせてもらう。そうすると更にスキルというか「出来ること」が増える。

たぶんこうして仕事がつながり、続いてきたのだと気づく。
北海道生活はとても重要で、とても貴重。僕のベースを作っているのだと感じるね。

だから探しモノは無理くりやっても目的のモノが見つかりにくくなるだけかもしれないし、それで出会ったモノは自分にとってありがたいモノかどうかも判りにくい。

井上陽水も歌っている様に「探すのを止めた時、見つかることもよくある話で…」、あまり雁字搦めになると、苦しくなってしまう。
苦しい時こそ、ちょっと肩の力を抜くといいのかもね。

だから、自分のすべき仕事って何だろう?僕のできることは何だろう?の答えは、もしかしたら「周り」が教えてくれるモノなのかもしれないよね。