「東京どこに住む?住所格差と人生格差」速水健朗著|読了!自分の生き方を考えた。

読了!感想というより、読みながら感じたことや、住んできた街に関する自分の思い出をツラツラと。
都市の住まい方についての本なのかとページをめくって行きましたが、働き方や人と人との関係構図みたいな部分も考えさせられて面白かったです。

生活と仕事と人と場所の関係図。

今、人形町に住んでいることも、過去にCET(セントラルイースト東京)に参加していたこともあり、内容は身を持って体験して来たこともあって面白かった。

僕は何度引っ越しをしたのだろう?と考えてみたけれど、実家から旭川へ向かったのが初めての引っ越し。それから、札幌で転々としたのをどうカウントするか悩みつつ、住所持って仕事したのだけ入れれば2回。
一度実家に帰ってから六本木へ引っ越して、そこで結婚して東日本橋へ。その後一瞬実家を経て現在の人形町へ。実家へ戻る部分を割けば6回。本著を参考にすれば、日本人の平均よりも多いということみたい。

引っ越しは大変だけれども、部屋が片付くから良いと思ってる。掃除の苦手なダメな人の意見でもある。否定はしないけれど。

今の場所に住む理由は、前の東日本橋の家の影響も大きい。CETというイベントでこのエリアに友達が増えたことで、一番住みやすいと思ったから。
本著では「どうやって住む街を選ぶのか」から始まっていて、誰もが経験する「引っ越し」に照らし合わせながら、内容に引きこまれていきました。

東側エリアの話の中で「ゴミゴミとしつつも知り合いや家族のいる東側を選んだ」と映画『下町の太陽(山田洋次監督)』の話で触れられているけれども、その感情はとてもわかり易かった。

東京の東側(僕の思い出では皇居と隅田川の間)エリアに2003年当時住んでいた人たちは、地のコミュニティが固く、祭りを通してそれぞれの役割も持ちながらバランスよく暮らしていた。
開発から取り残されたエリアだったから、時代の変化もあまり影響受けず、生活文化が昔のまま(この辺りの住人曰く、田舎のまま)2000年代を迎えたエリアだった。

僕の話が2003年から始まるのは、その頃にこの東京の東側のエリアに初めて触れたから。それまでは都内の地理関係どころか、この街の地名さえ読めなかった。でも、その(地元の人曰く)田舎の人達に受け入れてもらえたことが心地よくて、この街に住みたいと思った。好奇心が旺盛で受け入れる器が大きかった。

しかし10年前くらいから、この街で問屋を営む方々は「問屋業」の機能の社会的な変化に伴って、跡継ぎも無く閉じる話しを複数聞く。彼らの息子娘達は企業に就職しているケースが多い。
しかも元々持ちビルで無借金経営している方々なので、廃業と共に土地を売り地を離れるという話も多い。ちょっとした退職金的な扱いだよ。と。

一件では小さな土地でも、近隣エリアを束ねて買いに来るデベロッパーもおり、結果的にこの街にマンションが建つ流れが同時に起きた。この数年で一気に街の景色はマンションだらけに変わった。

住人が増えたことで、街の中での大騒ぎはしにくくなったけれど、夜も休日も人通りがある街は明るい気がする。街にある飲食店を通して知り合いも増えた。もちろん閉じた人たちも多いけれど、圧倒的な絶対数を考えれば合う人合わない人いるだろう。これは別問題。

本著では地域の歴史や成り立ちなども触れられている。
またここで僕が聞いた話しになるのだけれども、馬喰町エリアは問屋街という機能であり、例えば袋物に関してはここから地繋がりで役割を持った人たちが商いをしていたと。例えば、問屋の隣の街に製造の職人が。そしてその隣にパーツ(革・素材)業が。そしてその先に革をなめす職人が仕事をしていたと。
そして問屋には、袋物業として末端までの生活を含めた業界を仕切りつつも守る機能があったらしい。
今でも、カバン問屋・メーカー、パーツ問屋と隣り合う街の中に機能は残っている。

 

本著では港区。六本木や麻布十番にも触れている。ここの話は個人的に昨日「子供の頃、麻布十番で育ちました」という人と飲みの場で隣になり話をしたので、色々な情報が重なって面白かった。
僕が住んでいた六本木も住所は六本木ながら1丁目なので、実は最寄り駅が「麻布十番」という場所。

ここには公社とNTTの社宅が、よくある団地の様な姿で建っていたらしい。建物の間に駐車場があり、それが繰り返される風景。そこで昨日話した人は、小学校時代ドロケーをしていたと。もちろん六本木ヒルズの面影もなく地下鉄の駅もなかった。たい焼きで有名な『浪花屋』はあった。そして小学校の学年では2クラス。
そんなたまたま隣に座った方の思い出話と、まるっと重なる本著の内容はそんな部分をなぞっているようだった。

本著の中で触れている内容とは少し異なるのだけれど、「都市の規模が二倍になるごとに給与は10%増えるが、物価は16%高くなる(『人は意外に合理的』から引用されている)」一節があったのだけど、僕は八王子で異なる体験をした。

八王子にある大型スーパーが、馬喰町にあるスーパーの値段より高いのだ。馬喰町のスーパーの方が品質も鮮度も良いということもある。
そして場合によっては、八王子のスーパーと日本橋高島屋の地下に置いてある野菜の値段が近いということもある。ただし、品質などは大きく異る。もちろん高島屋の方が色も形も鮮度も良い。

八王子の大型スーパーはチェーン経営ということもあり、集中した場所に野菜を集めて配送しているのだと推測する。大量買いによる仕入れ値の減はあるだろうけれども、輸送コストの多さと手間、更には収穫から店頭までの時間がかかってしまっている事に原因があるのではと思う。

これは生活を始めて、いろいろな体験を通して気付くことでもあるよね。住む場所を選ぶって難しい。

 

西高東低の呪縛の話は面白かった。
詳しくは実際に読んでもらう方が良いと思うのだけれども「知らない」ことで選択肢が変わる(知っていることだけが選択肢になる)ってことでもあると思う。人は意外に偏った知識とそこから派生する個人的な思いは強い。

都市部への人口集中と地方創生の話では、筋違いかもしれないけれど『エンジンと発電』の話を思い出した。
『エンジンと発電』とは、個々のクルマ1台1台にエンジンを搭載しエネルギーを生み出すのは効率が悪い。例えば全てのクルマを電気自動車に変えることで、発電所による1箇所で発電したエネルギーを使う方法が効率的で地球への負荷も少ないという話。
本著の「地方の全ての自治体が生き残ろうとする」という部分が、個々にエンジンを積む自動車に見えた時、物凄く効率が悪い上に「もっと異なる人の生活があるのかもしれない」と思った。

 

「なぜ都市に住むのか」では、人と顔を合わせる大切さ言葉にされて強く実感した。人と一緒に過ごすと感覚も情報も研ぎ澄まされる。それがストレスになる人は仕方ないとしても、僕個人的には誰かと話をしている時間は楽しい。

そして、今学校で大学生と接する機会を得ているけれど、その中で感じるのは彼らも人と時間を共有することを大切にしている気がする。むしろ5年前の学生達の方が「飲み」などの場に抵抗を持っていたかもしれない。「飲みも残業でカウントされますか?」なんて話もその層だったかな。

色々な情報を得ようと、隣の研究室から街の中のイベントまで、自由に行き来している姿も見えるよね。物凄く時代に適応している気がした。そして学校こそ都市部にあるべきだと強く感じた。以前はそれが出来なかった理由も本著に書いてある。

そもそも「都市部」に住むことが効率良い姿だったのだけれども、物理的に場所が得られないから、郊外へと移り住まいを作ってきたのが僕らの親の世代。
時代が変わり、タワーマンションをはじめとする大型マンションの出現により、住まいが物理的に増えたことで、ようやく正しい住まい方へとシフト出来てきた。という話なのかもしれない。人が都市部に住む姿が自然な流れという。

中央線沿い八王子で生まれ育ち、20歳を越えて北海道で数年暮らし、六本木、青山でも住みつつ、東日本橋、人形町へと住まいを変えてきた中で、本著はとてもおもしろい話しだった。

個人的に住まいを選ぶのは「友達がいる」ということが重要かもしれない。もちろん新しい街でも0から作れば良いのだけれど、勝手を知った人が近くに居る街は居心地が良い。

あとは都市のサバイバルとして、エリアの平均家賃を下回る物件の探し方もあるという考え方も備えると、住み方の選び方は幅が広がりますよね。

 

追伸:
「北海道へ脱サラしてペンション経営を夢見て来る東京の人たちが、子供が出来ると同時に奥さんが街へ移住し、結果的に離婚されて男ひとりでペンション経営している」という姿を北海道でいくつか見てきた経験も、ふと思い出す本でもありました!