こちらもインタビューで答えた内容のひとつ。
Q:今後、業界が激するような事柄が起こると思いますか?
A:取り巻く環境の変化、それに伴うアプローチの変化。共に大きな変化はあります。
「広告業界」という切り方で聞かれたので、これにはシッカリ補足としてコメントを入れ込んだんですけどね。せっかくなのでもう少し詳しく。そして、広告から切り離した点で。(諸々の物事に異論は認めます。笑)
高度成長期は頑張っただけの報酬として、目の前にぶら下がるニンジンを手に入れる競争が一般の生活だったのだと思う。
見ていないから想像でしかないけどね。でも、三種の神器とかと言われる様に富の象徴としての手に触れられるモノが元気良かったと思う。
それは洗濯機やテレビなどの家電、自動車、家や土地。それらを手に入れる事が目の前の目標(ニンジン)となって我武者羅に働いたのだと思う。お金を使う為に稼ぐわけだから、経済的にも健全な状況ではあるよね。
物理的な満足の次には体験に興味が移っていく。
家電も一通り手に入れて、自動車もある。気持ちにゆとりが出てきたら「体験」に対してお金を使う様になっていったと思う。たぶん僕らの子供の時代がここに当てはまってるかもしれない。
旅行や遊園地などの体験にお金を使う割合が増えたんじゃないかな。海外旅行とかも一般化していくのはこのタイミングだと思う。別荘などのフレーズも盛り上がったのはこのあたりかな。
バブル期に重なり、遊びにお金を使うのが一般家庭にもあったんじゃないかな。
不況時代もお金は動き続けて、人は情報を買うようになった。
ネット時代でもある不況時代。惰性で進む時代でもあった気がする。不況という状況が具体的に財布に響いてくるまでに時差はあったんじゃないかな?
とはいえ、家も家電も自動車も持っている世帯は多くて、大きな買い物が必要無かった時代でもあるのかなって思う。
でも、会社勤めであれば減額されたとしても給料は支払われ続けるわけで、結果的になんらかにお金を使うという経済活動は続くわけです。文明として。
で、それぞれの興味は「情報」に目を向けられたのではと。
ネットの存在は大きく、画面を眺めながら時間を過ごしたり、エンターテイメントとして楽しんだり。色々な欲求を叶えてくれている。
人との対話も、ゲームも、映画も、音楽も。大きく言えば、遊びも仕事もこれ一本。となると、そこに割くお金は増えるよね。
で、Amazon、iTunesと、気がつけば外国の企業のサービスを日常使いで活用していたり。国境というボーダーラインを自然に超えちゃった。
これからはプレタポルテからオートクチュールへ
さて、これからの時代はどうなるの?という動向は既にあって、たぶん既に「大企業が大量生産したモノ」を「多くの人が手にしたい」という時代は終わっているのかなと思う時がある。
大量生産された既成品よりも、ひとつひとつオーダーメイドの一品モノへ。本当に欲しいものに出会える環境に時代がシフトしていると思う。
これはプロダクトだけに限らず、サービスや人材についても同じことが言えると思いますわ。
さっき読んだ「不格好経営―チームDeNAの挑戦」にも『あと10年もすれば、組織に属して仕事をするスタイルは主流ではなくなるだろう』とあって、「おぉ、同じ感覚!」と共感したのだけれども、「個人として何を得たいのか」「個人として何を与えられるのか」がより明確化される社会になって来ていると思う。
で、そのパーソナルな需要と供給がマッチしていく社会。企業組織でドバっと動かすのではなく、それぞれが小さな経済を生み出しつながっていく。
分かりやすいのは、手に職があれば良いんだけど、存在自体がお金になる時代にもなるかもしれないなって思う。
で、すごく冷静に客観的にこの社会を眺めると、まるで原始時代だよね。
狩りが得意な人が肉を捕り、加工が得意な人が武器や装具を作り、農業が得意な人が野菜を作る。占い師も居れば、歌が得意というのも居ただろうし。そんな時代だよね。
一回りして人間の関係がそこに落ち着く気がする。
物々交換や地域貨幣に近い感覚での経済が既に見え隠れしていて、まだ実際には国の発行する貨幣がツールになっているけれど、これも意味が大きく変わってくるんじゃないかな?って思ったりもするよ。